上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
3.「原子力政策大綱の改定作業開始」
        吉岡斉(九州大学副学長,大学院比較社会文化研究院教授)

内閣府原子力委員会は2010年11月30日、原子力政策大綱の改定に着手
することを決定した。改定作業の実質部分をになうのは、新大綱策定会議であ
り、5名の原子力委員を含む26名の委員をメンバーとする。現在の原子力政
策大綱は、5年あまり前の2005年10月11日に決定された。その改定作
業は2004年6月に始まっている。したがって約6年半ぶりの改定作業開始
ということになる。当初のスケジュールでは年内にも新政策大綱を決定するこ
とが見込まれている。第1回の新大綱策定会議は12月21日に開かれた。そ
の後、月2回程度のペースで開かれている(第2回:1月14日、第3回:1
月31日)。次回は2月21日の予定である。

改定の理由として原子力委員会は、以下の3つの情勢変化を挙げている。第1
は、原子力発電に対する見方が世界的に肯定的な方向へと変化していることで
ある。第2は、その一方で日本国内では混迷が続いていることである。第3は、
多くの諸国が原子力発電導入への関心を高めるなかで、国際原子力取引の動き
が活性化するとともに、核保安・核不拡散問題に対する取り組み強化が必要と
なっていること。もとより自動車検査登録制度(車検)や原子炉定期検査など
は、特段の問題がなくても安全確保のために必ず行わねばならないものである。
原子力政策大綱の定期的見直しは、その観点からみて不可欠である。それゆえ
情勢変化を改定の理由とする理屈は妥当ではない。とはいえ見直しを行うこと
自体は正しい。

会議の進め方としては前回と同様の方式が採用されるとみられる。その方式は
以下のようなものである。「エネルギーと原子力発電」「核燃料サイクル」など
の主要項目ごとに数回の審議を行い、そのたびに合意書(官僚用語で「論点整
理」と呼ばれる)を作っていく。全ての主要項目について審議を行ったのち、
それらの合意書の骨子をまとめた原子力政策大綱案を作り、国民意見聴取によ
って若干の補正をほどこしたのちに、最終回で政策大綱を決定する。それを原
子力委員会が決定し、さらに閣議決定が行われる。「エネルギーと原子力発電」
に関する合意書(論点整理)は3月前半、「核燃料サイクル」に関する合意書(論
点整理)は5月前半に承認される予定となっており、この時点で大枠は固まる。
その他の主要項目について審議を続けたのち、10月以降に原子力政策大綱改
定案が発表されることとなるとみられる。

さて、新大綱策定会議には、現行の原子力発電政策の中核部分の一部又は全部
に対して否定的な見解をもつメンバーは2名しか含まれていない。ちなみにそ
うしたメンバーは、1994年の長期計画専門部会では0人、1995年12
月のもんじゅ事故による原子力政策の民主化の前進のあとに組織された
2000年の長期計画策定会議では2名、2004年の新計画策定会議ではや
はり2名、であった。委員構成における原子力発電政策に対する賛否のバラン
スは変わっていない。なお筆者は2000年の原子力長期計画改定と、
2005年の原子力政策大綱策定に際して、策定会議の委員として活動したが、
今回は委員に選ばれなかった。ともあれそうしたメンバー構成に加え、最近の
原子力委員会が従来路線の見直しの姿勢を見せていないことを考慮すると、今
回の原子力政策大綱改定において大きな変化が起こる可能性はほとんどないと
見込まれる。

たしかに2009年9月の政権交代後、原子力委員会のメンバーに変化があっ
た。2010年から原子力委員長代理となった鈴木達治郎氏は、核燃料再処理
路線に批判的であるだけでなく、原子力発電の拡大は難しいとの予想を繰り返
し述べてきたことで知られる。同じく2010年から原子力委員となった大庭
三枝氏は、国際関係論を専攻する学者であるが、原子力発電に関して今までほ
とんど意見を述べたことがない。そうした従来とは毛色の異なる原子力委員が
就任した背景には、政権交代があったことは周知のとおりである。鳩山内閣の
政務三役がみずから原子力委員候補を選び、社会民主党と国民新党との協議を
行って原子力委員を決めるという新しい人選システムの採用があった。

しかし変わったのはそこまでだった。その後は自由民主党政権時代とほとんど
変わらない内容の原子力政策が進められるようになった。とくに2010年5
月の社会民主党の政権離脱以降、政権内での批判勢力が失われた状態にある。
事業仕分けによるリストラの脅威が関係者にのしかかったが、結果的には大幅
リストラは回避された。そうした状態のもとで2010年6月8日、エネルギ
ー基本計画が改定された。そこには2020年までに発電用原子炉を9基新増
設し、2030年までに14基(つまり追加で5基)新増設するとの目標が示
されている。これは現時点での電力業界の計画どおりである。その意味で新し
いエネルギー基本計画は従来路線を再認証したに過ぎない。だが政権交代にも
かかわらず何も変わっていないという事実は、民主党連立政権の本質を浮き彫
りにしている。その閣議決定は新しい原子力政策大綱に対する強い縛りとなっ
ている。

新しい原子力政策大綱の内容がどうなるかについては、歴史をふまえてかなり
確実性の高い予測ができる。1994年の原子力長期計画(長計)に至るまで、
原子力長期計画は次の3つの特徴を帯びたものであった。第1の特徴は、政府
事業はもとより民間事業までも包括的に国家計画の対象に組み込んできたこと
である。民間電力会社の商業原子力発電事業もまた国家計画にもとづいて推進
するものと考えられてきた。第2の特徴は、その国家計画がきわめて詳細かつ
具体的なものであった。つまり全ての主要事業について、民間事業を含めて、
その将来の事業規模に関する数値目標や、主要装置の完成目標年度などが示さ
れてきた。第3の特徴は、ほとんど全ての主要事業について、それを前進させ
る方針が示されてきた。とくに商業原子力発電事業、使用済核燃料再処理事業、
高速増殖炉サイクル技術開発の三者は、原子力政策の「主要3事業」と呼ぶこと
ができるほど、政策文書での扱いが大きいものであったが、それらは決して凍
結・縮小・整理等の対象となることはなかった。

しかし2000年長期計画は、従来の長期計画と一線を画すものとなった。第
1に、民間事業については、政府の考え方を示した上で民間にその実施を「期
待」するという位置づけになった。第2に、政府事業と民間事業を問わず、数
値目標や目標年度はほとんど記載されなくなった。第3に、全ての主要事業を
前進させるという方針も柔軟化した。たとえば原子力発電の将来規模について
は「適切なレベルに維持していく必要がある」と述べられるにとどまった。ま
た高速増殖炉サイクル技術開発については、原型炉もんじゅの運転再開を勧告
しつつも、実証炉以後の計画が白紙となった。なおこれは1997年の原子力
委員会高速増殖炉懇談会(筆者も委員の一員をつとめた)の勧告を継承したも
のである。全体として2000年長期計画は、原子力政策の大幅な「柔軟化」を
進めたものとして評価できる。

ところが2005年政策大綱を見ると、1994年までの古い長期計画の様式
に逆戻りしていることがわかる。第1に「期待」という表現が消え、国家計画の
対象に再び民間事業が組み入れられている。第2に、数値目標や目標年度につ
いての記載が主要事業について復活している。第3に、原子力発電シェアの数
値目標が明記され、高速増殖炉サイクル技術開発に関して、実用化までのタイ
ムテーブルが復活している。このように2005年政策大綱は、2000年長
期計画と比べて大幅に「硬直化」し、先祖返りした内容となっている。

しかし唯一「柔軟化」された点として、使用済核燃料の処理・処分の方針につ
いて、総合評価方式という政策選択の手法を導入し、直線処分路線も選択肢と
なり得ることを明記した点があげられる。しかしその方法論および評価内容は
適切性を欠いた。また商業原子力発電については、複数の政策選択肢の中から
総合評価によりベストのものを選ぶという方式の活用は、吉岡委員の度重なる
要請にもかかわらず却下された。この前例が、新しい政策大綱の改定作業にお
いて、全面的に活用されることを期待してやまない。たとえ内容上の変化は期
待できなくても、せめて方法論上の変化は期待したいものである。

吉岡斉(九州大学副学長,大学院比較社会文化研究院教授)
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://isepseenarchive.blog88.fc2.com/tb.php/492-b9dea76b
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。