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2. 連載「光と風と樹々と」(16)
  1969年7月20日の意味
             ……月から見た地球、太陽系の外から見た地球
              長谷川 公一(環境社会学者 東北大学教員)

■「ててまぁー」

 「ててまぁー」
 息子は、3・4歳頃まで、保育園の帰りなどに、月を見上げるたびに、こう
いって指さした。
 地球から一番近い、一番大きく見える星、月。

 人類が初めて月に到達したのは、1969年7月20日。現在40歳代半ば
以上の人の多くは、世界中に同時中継されたこの日の興奮を覚えているだろう。

 私はといえば、豪雪と西瓜の産地で有名な山形県尾花沢市の中学3年生だっ
た。教室で、このテレビを見た覚えがある(調べてみると、宇宙飛行士が月面
に降り立った日本時間は、7月21日(火)昼の11時56分である。記憶は
ややおぼろげだが、給食の時間を少し繰り上げて見たのではないか)。22日の
朝刊の写真は鮮やかに覚えている。正確には、私は人口約1万人弱の県境に近
いもっといなか町の中学校から夏休み直前のこの前日、20日(月)に、人口
3万人弱のこの市に、銀行員の父の転勤にともなってやってきたばかりの転校
生だった。

■ケネディ宇宙センターにて

 この1月、Abe Fellow Retreat という名前の研究会に招かれて、フロリダ州
のココアビーチを訪れた。車で30分ほどの所にケネディ宇宙センターがある。
現在のスペースシャトルに至るまで、アメリカの歴代の宇宙ロケットのほとん
どを打ち上げてきた場所である。自由時間に数人で出かけた。
 3万4000ヘクタールという広大な敷地面積。センター内のバスツアーに
よる標準的な見学でも、ゆうに3時間がかかった。
 現役の打ち上げ場であるとともに、冷戦時代の米ソの宇宙開発競争から、ア
ポロ11号の月面着陸によるアメリカの勝利、現在の国際協力によるスペース
シャトル計画へというアメリカの宇宙開発の流れを臨場感たっぷりに感得させ
てくれる、本物のテーマパークでもある。
 展示や案内の全体の力点はスペースシャトルにあるものの、圧巻は、アポロ
計画関係のコーナーである。まず前振り的な約8分間のビデオを入り口で見せ
る。スプートニク・ショック(1957年10月にソ連が世界初の人工衛星の
打ち上げに成功し、アメリカや日本などに大きなショックを与えた事件。日本
では工学部の定員大幅増の契機となった)、ガガーリンの世界初の有人宇宙飛行
の成功(1961年4月)に対して、失敗が多く、大きくソ連に水をあけられ
た1960年代初期までのアメリカの宇宙開発、“We chose to the moon!”と
何度も繰り返すケネディ大統領の1962年のライス大学(管制センターのあ
るテキサス州ヒューストンにある)での演説、ジェミニ計画、アポロ計画と続
く。発射台の火災事故で飛行士3人が死亡したアポロ1号の悲劇(67年1月)
をのりこえて、いよいよ月周回をめざすアポロ8号の打ち上げへ、と続く。
 1968年12月21日のアポロ8号を載せたサターンV型ロケットの打ち
上げシーンは、管制センターを見下ろすかたちの観客席で、シアター形式での
上映である。発射時間が近づくにつれ管制センターのそこかしこが点滅し、窓
ガラスを揺さぶる轟音も含めて、打ち上げシーンの臨場感と迫力がすごい。1
人の管制官が不安と緊張の中で、爪を噛むシーンなどが印象的である。シアタ
ーを出ると、全長111メートルの本物のサターンV型ロケットが展示されて
いる。
 月着陸シアターでは、いよいよアポロ11号の月着陸シーン。入り口の前に
60年代風のテレビモニターがあり、パリのシャンゼリゼやアムステルダム、
アームストロング飛行士の母親など、世界中が月着陸の同時中継を待っている
という当時の映像を映し出す。月面着陸時間が近づき、再びシアターのドアが
開く。
 正面には模型の月表面。スクリーンでは着陸船が地上の管制センターと交信
しながら、着陸地点を探している。しばしば地上との交信が途絶する。誘導コ
ンピュータからの処理能力オーバーを意味するエラー・メッセージ。着陸予定
地点をオーバーしていることに飛行士らが気づく。月着陸船を手動操縦に切り
替える。残りの燃料は30秒を切る。緊張と焦燥と悲壮感が強まる管制官の刻々
の表情。ようやく着陸。アームストロング飛行士が着陸船を降り、左足から月
面に降り立つ有名なシーンが続く。先刻とはうってかわって管制センターには
じける喜び。幾つもの予定外の出来事を乗り越えながら、かろうじて、月面着
陸に成功したことがわかる貴重な映像だ。
 69年7月当時、また私がこれまで見てきたニュース画像からは、完全にコ
ンピュータ制御された至極順調な予定どおりの着陸だったという印象ばかり受
けてきたが、実際は、管制官ですら(管制官だからこそというべきか)、はらは
らしどおしの、まったく余裕のない綱渡り状態だったことがわかる。
 最後に、人類史上はじめて月に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロ
ングが、現在のにこやかな笑顔で、“No dream, No possible.”と語りかけて、
このシアターは閉幕する。

■2年半で8機を打ち上げたアポロ計画

 ここに記してきたように、失敗したアポロ1号から11号まで、2年6ヶ月
しかかかっていない。この間に8機が打ち上げられた(2号、3号は、1号以
前の打ち上げである)。はじめて月の周回軌道に乗ったアポロ8号から、月面着
陸に成功した11号までは、何とわずか8ヶ月という短さである。40年近く
を経た現在からみても、驚異的な短さではないか。60年代終わりまでに月面
着陸というケネディ大統領の宣言(61年5月)があったとはいえ、いかに短
期間に集中的に人材と資金が投入されたプロジェクトだったかがわかる。これ
だけ短期間に達成された国家的プロジェクトは、広島・長崎に投下された原爆
開発計画マンハッタン計画があるぐらいだろう。マンハッタン計画も、194
2年9月から45年8月まで、3年弱のプロジェクトだった。
 アポロ計画は、月面着陸の成功と膨大な経費によって、72年12月に打ち
上げられたアポロ17号で打ち切りとなるが、アポロ計画に投下された総予算
は250億ドルと公表されている。
 ライバルだったソ連は、結局、月への有人飛行は実現できなかった。
 月面着陸が成功したのは計6回、これまで月に降り立った宇宙飛行士は2人
づつ12人である。
 1回だけ失敗したケースがある。70年4月に打ち上げられたアポロ13号
は、司令船の液化酸素タンクの爆発事故により、月面着陸を断念し、月着陸船
を「救命ボート」として利用するという離れ技で、酸素不足、電力不足、二酸
化炭素の増大による窒息死の危険、大気圏突入の失敗の危険などの予期せぬ難
題を幾つも乗り越え、地球に奇跡的に生還し「輝ける失敗(a successful
failure)」と呼ばれている。月面着陸以上に、評価の高い事件である。事実に
ほぼ忠実に、1995年に「アポロ13」としてトム・ハンクス主演で映画化
されたが、不慮の事態に遭遇したときの、宇宙飛行士と管制官をはじめ、関係
者の問題処理能力の高さ、冷静な判断力、総合力の高さを、CGを駆使して見
事に映像化している。

■アメリカが輝いた最後の日

 ケネディ宇宙センターからホテルに戻りながら、1969年7月20日は、
アメリカがもっとも輝いていた最後の日だったのではないか、国力の頂点だっ
たのではないか、と思った。40万人以上が参加したといわれる野外ロック・
フェスティバル、「ウッドストック・フェスティバル」が開かれるのは、それか
ら1ヶ月もたたない同年の8月15日から17日である。アポロ計画に邁進し
た60年代後半は、黒人暴動が多発し、ベトナム戦争が泥沼化し、学生反乱と
ウィメンズ・リブ運動、カウンター・カルチャーが高揚した時代でもある。キ
ング牧師の暗殺(68年4月)、ケネディの弟ロバート・ケネディの暗殺(68
年6月)など、血なまぐさい事件が相次いだ。
 月に約束どおり人間を送り込み、無事生還させることができた国が、それだ
けのコンピュータ制御技術をもつ国が、ベトナム戦争に苦悩し、国内の亀裂と
分裂は深刻化し、既成の秩序への異議申立てに直面する。栄光の裏側で同時進
行していたのは「苦悩する大国」というもうひとつのアメリカである。
 
■人類の唯一の居場所・9ヶ月後の第1回アースディ

 若者らの呼びかけで、環境汚染に反対する第1回アースディが開かれ、
2000万人が参加したのは、1970年4月22日である。科学技術の勝利
でもあった人類の月面着陸は、皮肉にもというべきか、あるいはきわめて健全
なことに、“Our only Earth”「かけがえないの地球」「宇宙船地球号」という意
識をかきたて、国際的に環境運動の大きなうねりをもたらすのである。197
2年のストックホルムでの「国連人間環境会議」は、その頂点である。アメリ
カやヨーロッパの文脈では、環境社会学も、このうねりの一つの産物である。
 地球温暖化問題を扱った話題の映画、アル・ゴアの「不都合な真実」につい
ては昨年11月発行号の本MLでも論じたが、もっとも印象的で感動的なシー
ンの一つは、ラスト近くで出てくる、太陽系の外に飛び出した無人宇宙探査機
が40億マイルのかなたから送り返してきた地球の映像である。太陽系の外か
ら見た地球は、一つの青い点に過ぎない。しかし確実に、水のある青い星であ
る。
“everything that has ever happened in all of human history has happened
on that tiny pixel. All the triumphs and tragedies. All the wars. All the
famines. All the major advances.”ゴアが引用する、無人宇宙探査機計画の
主導者カール・セーガンの言葉である。“It is our only home.”とゴアは語り
かけ、温暖化の危機に直面する地球を守ることはモラルの問題だ、と続ける。
 人類の居場所は地球にしかない、ということを何人にもまのあたりにさせて
くれたのが、1969年7月20日の月面着陸だった。幼子が「ててまー」と
指さすように、有史以来、人類が夢見てきた黄色に輝く月は、実は不毛の大地
だったのである。
 月面着陸という究極の夢の実現によって、人類は、共通の夢を失ったのかも
しれない。これ以後、宇宙への夢は急速にしぼんでいく。9ヶ月後、3度目の
月面着陸をめざしたアポロ13号の飛行は、当初テレビ局には全く注目されな
かった(皮肉にも、液化酸素ガスタンクの爆発事故という異常事態が判明して
以降、メディアは飛びつく)。月面着陸は、新たな夢をかきたてることにはなら
なかった。
 NASA(アメリカ航空宇宙局)が公開し、一般に流布している地球の写真
は、たった2枚しかない。アポロ11号の月面から見た半球の地球と、アフリ
カ大陸が写っているアポロ17号から撮影した全球の地球である(満月にあた
る真ん丸な地球の写真はこれしかない)。
 人類は失った夢の代わりに、地球を守るという、足元での大きな現実的な課
題を意識させられたのである。

               長谷川公一(環境社会学者 東北大学教員)


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