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4.連載「お笑い原子力ムラ敦賀」(10)
  日野行介(毎日新聞大阪社会部記者、昨年3月まで福井支局敦賀駐在記者)

 原子力の世界では一般になじみの薄い独特の言い回しやロジックが多い。こ
うした言い回しを見るだけでも原子力界の体質がうかがい知れるので紹介した
い。
 例えば、原子力発電所は「敦賀原発1号機」、「美浜原発3号機」というよう
に新聞用語では「原発」と略して表記する。どちらが先かは分からないが、東
京、大阪など電気の巨大消費地に住む一般市民も新聞と同じく「原発」と略す
のが一般的だろう。しかし原子力界のエリートたる技術者たちは「原電」と略
す。「原発」とは決して言わないのだ。彼らにつられるように立地地域の住民た
ちも「原電」と呼ぶ。一説には「原発」だと「原爆」と響きが似ているので避
けるようになったとも言われている。面白かったのは、消費地と立地地域の中
間とも言える福井県庁の職員たちがどちらも使わず、「原子力発電所」、「発電
所」と言うことだ。建設から40年が経っても原発が立地地域にとって非常に
ナーバスな存在であることが良く分かる。
 ところで「減肉進展速度の評価の妥当性を確認する個所(1カ所)」、「管理状
況の妥当性を検証する個所(5カ所)」。書かれていることの意味が分かるだろ
うか。これは一昨年8月の美浜原発3号機事故直後に関西電力が出したプレス
リリースの表現。報道陣の理解では前者は「交換が必要とされる基準を肉厚が
下回りながら放置した配管」、後者は「点検が必要としりながら放置していた配
管」ということになった。関電側は「正確に表現した」と強調していたのだが、
そもそも相手に理解してもらおうと考えて文書を作成していたのか疑わしい。
「原子力用語は分かりにくい」という批判は昔からあったようだが、こうした
発表文を読むにつけ、彼らには広く世間に理解してもらうため文書を作ろうと
いう意思など無く、むしろ世間を煙に巻くために難解な用語を次々と生み出し
ているようにしか思えなくなってくる。
 「自動車事故に遭う確率の方が、牛肉を食べて害を受ける確率より高い」。こ
れは米国産牛肉の輸入停止問題で、先月24日に問題沈静化のため来日した米
国のペン農務次官が記者会見で述べたものだ。BSE(変異型クロイツフェル
ト・ヤコブ病)は発症すれば早ければ数ヶ月、もっても数年で死に至る恐怖の
病だ。米国産牛肉の管理体制に不安を抱く消費者の感情を逆なでする発言に反
発を覚えた方も多いだろう。
 この「交通事故発言」を私は敦賀で嫌というほど聞かされた。発言するのは
決まって日本原子力発電や旧核燃機構(現・日本原子力研究開発機構)、関電本
体に勤める原子力エリートたち。原子力について議論になるたび、彼らは「交
通事故で年間1万人も亡くなっています。原子力発電所で人は死んでません」
と胸を張るのだ。私は原発が安全かどうかなど議論していないのに、まるでマ
ニュアルでもあるかのように決まってそう話すのだった。
 一見分かりやすい「交通事故発言」だが、背景には難解な原子力用語が連発
されたプレスリリースと同じ思想があるように思えてならない。それは「一般
市民は原子力について良く知らないから拒否反応を起こす。いかに必要で良い
ものかを教え込まなければならない」という、「原子力安全教」、「原子力原理主
義」とも言うべき思想だ。宗教や原理主義を「聖戦(ジハード)」として押し進
めるためには、何をしても許される、地元にカネをばらまいても仕方ないとい
う姿勢になり兼ねない、その姿勢を指摘し、批判するものは「反対派」と色分
けし、糾弾する。安全性への不安というよりも反論を許さない原理主義的体質
を原子力に対して感じるからこそ一般市民も拒否反応を起こすわけだが、それ
を指摘すると、「我々を悪し様に書くマスコミが悪い」と反論してくるから手に
負えない。私は原子力の安全性について真正面から問うような知識もなければ、
問うつもりもなかった。原子力がその内部体質によって「社会悪」となり、社
会との軋轢を起こしていることを指摘してきただけなのだが、最後まで真意は
伝わらなかった。


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