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5.「お笑い原子力ムラ敦賀」(9)

 日野行介(毎日新聞大阪社会部記者、今年3月まで福井支局敦賀駐在記者)
 今回は関西電力や日本原電、日本原子力研究開発機構(旧核燃機構、動燃)
という福井県の原発御三家の社員たちが敦賀でどのように暮らしているか、そ
の暮らしぶりの一端を紹介したい。
 日本の原発”先進地“敦賀に原発がやってきて40年余り、運転員など高卒
採用の現場社員は地元出身者が多くを占めるようになった。だが大卒、大学院
卒のエンジニアや事務社員という原発事業者本体のエリート層は地元採用はし
ておらず、今も東京、大阪で一括採用している。当然ながら有名大学の卒業者
ばかりだ。原発が地域に来た功績として、「地元雇用の増加」を挙げる人は多い
が、地元雇用は原発事業者本体よりも、下請け孫請けの業者が多くを担ってい
る。
 さて原発事業者本体のエリートたちの多くは会社が用意する社宅に住んでい
る。日本原電、旧核燃機構は会社全体に占める敦賀での機能が大きいため、敦
賀市内にマイホームを構える社員もいるが、関西出身者が多い関電ではあまり
見かけず、ほとんどが社宅に住む。特に働き盛りの中年層は単身赴任が多かっ
た。
 3事業者とも巨大企業だけに敦賀市内にある社宅はいずれも豪華なのだが、
私が最も驚いたのは敦賀市郊外にある旧核燃機構の単身者用の寮、通称「分室」
と呼ばれる建物だった。ここは単身赴任者や独身者用の寮で、基本的に外部の
人間は入れないのだが、私は一度だけ入ったことがある。
 それは一昨末。旧核燃機構と私も所属する地元記者クラブとの懇親会(会費
制)のことだった。核燃機構側が分室を会場に指定してきたが、私はそれまで
分室の存在を知らず、核燃機構の職員にどこか詳しい説明を求めた。すると「タ
クシーに『分室まで』と言えば、連れて行ってくれます」と、とぼけた答えが
帰ってきた。懇親会の当日になり、タクシーの運転手に指定された通り「分室
まで」と言うと、運転手は何の疑問も持たない様子で車を発進させた。「分室を
知らない敦賀のタクシー運転手は居ない」のだそうだ。
 単身寮のどこで懇親会をするのか疑問だったが、案内された場所を見て驚い
た。簡素に見えた寮の中には豪華で本格的なバーとちょっとしたパーティ用の
スペースがあり、懇親会の準備がされていた。割り箸を入れる袋にまで「サイ
クル機構分室」と書いてある手の込みようで、地元の人々を接待するパーティ
が夜な夜なここで開かれているのがうかがえた。(注:我々報道陣は旧核燃料サ
イクル開発機構を核燃機構と略すが、本人たちは核燃の仕事を覆い隠すためか
「サイクル機構」と略す)
 社宅については地元の人から他にも驚くべき話を聞いたことがある。私自身
が確かめた話ではないのだが、20年前まで日本原電の社宅内では社員の妻を
対象にブランド品のバーゲンが年1、2回開かれていたというのだ。会社側が
補助するため、海外ブランド品のバックや洋服が市価の半額以下で売られてい
たという。地元の主婦たちは、社宅の奥様に知り合いがいない限り、中に入る
ことができなかったという。
 話は少し変わるが、毎週月曜日の朝、関西から北陸への玄関口でもあるJR
敦賀駅前には黒塗りの乗用車がずらりと並ぶ。関西や東京にある自宅で家族と
共に楽しい週末を過ごした原発エリートたちが敦賀に戻ってくるのだ。
 地元で「原発推進」を訴える人々は二言目には「原子力との共存共栄」を主
張する。一方で原発事業者のエリートたちも「地域振興に貢献したい」とこれ
に応える。原発と地域の共存共栄は一見成り立っているようにも見えるが、「共
存共栄」はあくまでも「カネ」の話に過ぎない。
 日本原電のある幹部が「40年経っても、この街で我々はやっぱりよそ者な
んですよ」と少し悲しそうな表情で話すのを聞いたことがある。地元の人々も
今だに「原電様」、「関電様」などと原発エリートたちを呼ぶことがある。原発
は厳然たる階層というコンクリート製の土台の上に建造されているのだ。


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