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4.連載「お笑い原子力ムラ敦賀」(8)
 日野行介(毎日新聞大阪社会部記者、今年3月まで福井支局敦賀駐在記者)

 今回は敦賀市内の酒場で出会った青年から聞いた話を紹介したい。ちょうど
2年前の冬の夜、当時20代後半だった青年と知り合った。お互い一人で来てい
たこともあり、店のマスターも含めて3人で話が大いに盛り上がった。
 市内の蒲鉾工場に勤めるという彼の出身は、原発計7基がある敦賀半島の東
岸、敦賀湾から見て西側のため通称「西浦」と呼ばれる漁村だった。
 人口わずか700人の西浦はかって敦賀市内まで道路もまともに通っていない
「陸の孤島」だった。市内への交通手段は徒歩か船しかなく、急病人が出ても、
天候次第で助からないケースもあったという。そうした不便な交通状況もあっ
て原発をいち早く受け入れた。
 そして40年ほど前、国内最初の軽水炉、日本原電敦賀原発1号機の建設が始
まると、西浦の風景は一変する。半島北端に近い建設地に資材を運ぶため、縦
断道路が完成し、沿線には作業員を泊める民宿が建ち並んだ。だがこの青年は、
もっとも変化したのは太古の時代から漁業を生業としてきた住民の生活や意識
だったと語る。
 原発の新増設があると、漁業者は事前に予定地近辺の一定海域について漁業
権を放棄し、数十億円に上る巨額の漁業補償金を受け取る。この保証金は地元
の漁協を通じて、予定地からの距離に比例して漁協の組合員に配分され、多い
ところでは一軒当たり数千万円に達することもあるという。敦賀市の西浦地区
にある原発は敦賀1、2号機、日本原子力研究開発機構(旧核燃機構)の高速
増殖炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」、それに現在は敦賀原発3、4号機
の建設が進む。こうした原発立地のたびに巨額の補償金が支払われてきたのだ。
 青年によると、巨額の補償金が入るたびに、住宅の増改築や高級車の購入が
繰り返され、中には漁協に加盟したまま市街地に新築の住宅を購入し、漁村を
出る者も現れた。また住民の多くは建設作業員や原発の定検作業員が宿泊する
民宿を開いたり、建設作業員に転職するようになり、多くが漁業から離れてい
ったというのだ。
 「もっと情けないことがあるんですよ」。青年は打ち明ける。補償金が入って
から10年も経つと、貯えを使い切る家も出てくるそうで、そうした場合には地
区の寄り合いが行われる。テーマは「どうやってカネを引き出すか」だった。
そうして編み出された方法は、「波が荒い」、「船を泊める波止場が必要」などと
市や県、電力会社に要求し、漁港や防波堤を建設させることだった。建設費用
の大半は日本原電や核燃機構が「地域振興への寄付」という名目で立て替える
という。そこには地域振興に向けた自主活力など微塵も感じられない。
 青年は「西浦の出身というと、市内の人の視線が厳しいんです。『お前ら何度
も海を売って儲けやがって』とか『働かなくて生活できて良いなあ』と思われ
ている。恥ずかしいからもう戻りたくない」とため息混じりに明かした。
 さて、その西浦地区だが、3、4号機増設で40億円もの補償金が入ったにも
関わらず、新たなプロジェクトがさらに進行中だ。住民たちが数年前から半島
縦断道路のバイパス道路を作るよう秘密裏に市や県、日本原電に要求を続け、
県の同意が近く下りて着工する予定だ。その費用は約50億円、すべて日本原電
の寄付だ。将来的には人口600人の漁村に県道とバイパス道路が完成する。
日本のどこにそんな場所があるだろうか。
 ところで受け取った巨額の補償金を元手に商売を始め、成功を収めたという
話は聞いたことが無い。巨額の補償金は、冬の日本海に舞う波の花のように跡
形も無く散っていくだけなのだろうか。


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