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2)「〈おかみ〉と〈民〉のはざまで〜岩手・木質バイオマス研究会の位置」
    金沢滋(岩手・木質バイオマス研究会会長、株式会社金澤林業社長)

一. 炭焼きたちの学校づくり
 東北の片田舎にいると、昔話が新鮮に響くことが多い。
 岩手県は、木炭生産日本一を誇る。あちこちの昔語りに、炭焼きの労働者た
ちが学校をつくる話があった。これは、私が経営する会社で、山仕事にたけた
K村出身の老人から聞いた話だ。耕地が10%に満たない同村では、江戸時代か
ら男たちは山に入り、木を伐り焼畑で食いつないだり、どこかの野良仕事に雇
われるぐらいしか、道はなかった。
 明治末期から大正、昭和の初期、特に関東大震災以降、木炭の需要が岩手に
押し寄せた。20年生程度の細いナラや雑木など広葉樹を伐って、炭に焼いて親
請けに出荷する。親請けは山の立木を買い、また焼き子たちに伐らせる…。子
どもたちはその労働力として昼夜働いていた。
 ある時期から、村の親たちが立ち上がり始めた。「子どもたちには、字を読ま
せたい。違う暮らしをさせたい」と結束し、役場に掛け合った。戦前の地方自
治体は貧しくて、小さな校舎建設でも難しい。役場は親たちと約束を取り交わ
した。「学校を住民が建てるのなら、役場は教員の派遣と給料に協力しよう」。
実はK村だけではなく、岩手県内には住民と役場の協働作業で運営された学校
で、子どもたちが学んでいた。

二. 岩手・木質バイオマス研究会のはじまり
 現在、全国に200人いる岩手・木質バイオマス研究会(事務局:盛岡市内)
は、2000年7月に発足した。同年3月、木質バイオマス利用では世界の先進地
のスウェーデン・ヴェクショー市を調査した遠藤保仁・葛巻林業社長、工藤一
博・工藤建設社長と私は「地方からでないと中央を変えることができない」と
いう、スウェーデン・バイオマス協会の幹部の言葉に感動し、帰りの飛行機の
中で議論を重ねた。地方で民間の人間たちを集める研究会が必要だ―。
岩手県には役所を「お上」として従う風潮が根強く残る。だが、日本で最初に
ペレットをつくった遠藤社長は言った。「役所だけでは人は動かない」。木質バ
イオマスのように利用者を増やす産業は、行政主導だけでは限界に達する。と
もに盛り上げないと第二次オイルショック時と同じようなブームで終わってし
まう。かつての岩手がそうであったように、民の力が今こそ必要なのだ、と。

三. 具体的な施策
 岩手県の木質バイオマスに関する施策を並べると、キリがない。大雑把にい
えば、(1)機器の開発、(2)機器の設置、(3)PR の3つに分類できる。
これらに順番はなく、並行して進まなければいけない。2002年度から県工業技
術センターで県産ペレットストーブを民間企業と共同開発し、すでに市販され
た。木を切削しただけのチップボイラーも今年市販済みだ。現在、小型ペレッ
トボイラーを共同開発している。
 開発しただけではなく、県の施策の壁を破ってペレットストーブへの設置補
助(上限5万円)を昨年度からはじめ、初年度で約350台のペレットストーブ
が県内で設置された。2000年、私たちが活動をはじめたころには数台しかなか
ったのに、今や総計で約550台が個人や市町村役場機関などにお目見えした。
 大切なのはどのくらいの県民がペレットストーブを知っているか、だ。増田
寛也・岩手県知事ともよく話しをするが、2000年からのスウェーデン・ヴェク
ショー市との交流で学んだ「目に見える小さな成功の積み重ね」という地道な
施策が初期には重要な視点だった。
 
四. 地方から発信する意義
 9年前まで毎日新聞記者だった私も、かつて行政には深く関わった。しかし、
今はカウンターパートとしてだけではなく、民間と行政の限界を埋める存在と
して心を砕くようにしている。なにしろ、狭い地方社会で人材も知恵も、知識
も不足する。ISEPの方々の力添えで、昨年度から岩手を舞台にした施策を検討
させていただいている。民を動かす仕組みだ。
頭のなかには、昔語りの“学校”を思い浮かべる。未来のために力を合わせる
ことができたら、地域力は強くなると信じている。

   金沢滋(岩手・木質バイオマス研究会会長、株式会社金澤林業社長)


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