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1. 風発 「クールビズ雑考」
                       飯田哲也(ISEP所長)

過日、中央環境審議会に出てみると、前回まではノーネクタイは女性委員を除
いて小生一人だったが、今回は、ほぼ委員全員がクールビズとなっており、あ
る種の壮観だった。少なくとも言葉としては一気にブレークした感がある「ク
ールビズ」について、例によって、「日本ムラ」の視点から雑考してみることと
しよう。

クールビズに関して、目に付いたブログをざっと拾い読みしてみると、「国会議
員やオヤジのクールビズはダサイ」「国からファッションのことを言われるの
もね・・」「省エネルックは失敗したが・・」「本質的な温暖化対策ではない」
などとひとしきりくさした後で、これを機に温暖化防止の気運が高まり、ドブ
ネズミ風のカイシャ文化が変わるのなら、まあ良いんじゃないかという肯定的
な論調が多いようだ。小生も、この次元では、クールビズに「留保付きの肯定」
をしている。

しかし、この問題はもっと根深いように思えてならない。「馬子にも衣装」とい
う言葉がある。これを逆読みすれば、「馬子だから衣装」「馬子ほど衣装」とい
うことだろう。クールビズの名称審査をした一人、ファッションデザイナーの
ドン小西氏は、「スーツとネクタイを脱ぎ捨てることは、それに支えられていた
ビジネスマンを自信のない丸腰のオヤジに変えてしまう危険がある」と指摘す
る(東京新聞6月21日)。これは「本社ビル」にもそのまま当てはまる。トヨ
タや松下電器の本社がそうであるように、一般に、実業の本社は質素であるの
に対し、銀行や保険会社のような「虚業」ほど立派な本社ビルを立てる傾向が
ある。つまり、外面の飾り立ては、空疎な内実=自信のなさの裏返しなのであ
る。

これを念頭に置いて、「クールビズ劇場」を見てみよう。6月8日には、小泉首
相がクールビズに着替えたために、議員バッジを付け忘れて本会議場に入れな
かったという一幕があった。メディアは面白可笑しく伝えていたが、身分証明
書を持っていたにもかかわらず、わざわざ予備の議員バッジを調達しなければ
入場できなかったという「バカバカしいにもほどがある形式主義」の愚を指摘
するメディアは皆無だった。国会や霞ヶ関でのクールビズ化を受け、地方でも
変化が始まっている。行政は概ねクールビズが多いようだが、議会では「品位
を重んじる」という理由から慎重なところが多いようだ。クールビズにするか
どうか、上着は、ネクタイは、バッジは・・と、真面目に議会で議論する幼児
性もさることながら、スーツとネクタイがなければ品位が劣ると考えるオツム
の方が、よほど品位に欠けている。

さて、クールビズは、現代の「チョンマゲ切り」となるか、それとも反動で「形
式主義」を強化することになるだろうか。クールビズで「丸腰となったオヤジ」
が権威主義を捨て去り、実質的な議論が出来るようになることが、望ましいシ
ナリオなのだが、「馬子」はしょせん「馬子」である。丸腰になると自分の空ろ
さがさらけ出される。喩えは大きいが、冷戦終結の流れに乗って、細川・村山
政権でアジアへの反省の気運が生まれた状況に似ているように思える。アジア
に向き合おうとしたことによって、日本が戦後責任を取っていない事実に気づ
かされ、その反動が今日の日本の病的なまでに自閉的なナショナリズムを生ん
でしまったように。その「悪夢」の方が、クールビズよりも、よほど「お寒い」
のである。

                       飯田哲也(ISEP所長)


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