上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
3.ジャーナリストより
      川口 雅浩(毎日新聞秋田支局次長、前・東京本社経済部記者)

 4月に東京から秋田に赴任した。秋田市内で暮らして驚いたのは、街中で風
が強い日が多いことだ。しかも並の強風ではない。困るのは雨の日で、風が強
すぎて傘がさせない。無理をすると傘の骨がすぐ折れるので、仕方なく傘を閉
じ、濡れながら歩かなくてはならない。
 私はこれまで静岡、札幌、東京と転勤し、静岡県内では駿河湾から数百メー
トル、夜などは部屋から潮騒が聞こえる海岸沿いに住んだこともあるが、これ
ほどの強風は経験したことがない。秋田市中心部は海岸から数キロ以上離れて
いるのに、これだけ風が強いのは、太平洋と日本海の違いだからなのだろうか。
 これだけ風が強いのだから、秋田県が風力発電の先進地だというのも納得が
いった。傘の骨が何本も折れ、ずぶ濡れになるのは困るが、それと引き換えに、
クリーンな再生可能エネルギーがこの地で生まれるのであれば、喜んでずぶ濡
れになろうと思う。
 秋田へ赴任すると決まった3月、飯田哲也さん、大林ミカさんが都内で送別
会を開いてくれた。その時、「秋田にも市民風車がある」と聞いて、風力発電
現場を見るのを楽しみにしていた。「市民風車」には、私なりに思い入れがある
からだ。「市民風車」という言葉がマスコミにまだあまり登場しなかった02年
当時、「自然エネルギー市民ファンド」設立について、毎日新聞の夕刊1面(0
2年12月7日付)に記事を書いたのは、この私だ。手前味噌だが、「市民風車」
なる概念を早い段階で新聞に紹介できたと自負している。
 当時、02年秋と言えば、東京電力の原発のトラブル隠しが発覚した直後だ
った。電力会社と経済産業省は03年夏にかけ、「東電の17基の原発の大半が
運転再開しなければ、東京が大停電に陥る」かのような一大キャンペーンを張
った。詳しくはここで書く暇がないが、当時、このキャンペーンに経済部のエ
ネルギー担当記者として異議を唱えたのは、この私だけだった。エラそうなこ
とを言うつもりは毛頭ないが、一線の記者の中では、残念ながら、本当にそう
だった。
 私は東電の原発の大半が再稼動しなくても、節電など知恵を絞れば、真夏の
最大電力のピークを乗り切れると、数値的な根拠をもって主張した。当時の毎
日新聞の社説(03年6月24日付)は「大停電は本当に危機か」との見出しで、
「時には電気が足りなくなる社会もひとつの方法だ」「原子力への過度の依存
が、かえってリスクを高めた」との主張を掲げた。他紙には見られない主張だ
った。興味のある方は、当時の各紙の報道ぶりを調べてみてほしい。当時の経
緯や様々な圧力について内幕を明かせば、それだけで一冊、本が書けるほどだ。
 話が秋田の風力発電とそれてしまったが、私が言いたいのは、風力発電(市
民風車)は原発とは対極にあるということだ。少しぐらい生活に不自由があっ
ても、安全で安心で、後世に誇れるクリーンな技術開発を進めるのが、人類の
目指すべき姿だと思う。秋田の風力発電だけで、秋田県内はもちろん、秋田市
内の最大電力さえも賄いきれない現実は百も承知だ。そこをどう克服すべきな
のか知恵を絞り、政府や電力会社を方向転換させていくことが、ISEPのよ
うな市民団体やマスコミに求められていると思う。
 休日、クルマで秋田市内の海岸線を走っていると、突然、十数基の風力発電
の風車が姿を現し、思わずクルマを止め、見入ってしまった。見たことがない、
壮大な光景だった。まるでドイツか北欧諸国の海岸に来たかのような錯覚に陥
った。
 うれしくて、後日、大林さんに「秋田がヨーロッパみたいで驚いた」と電話
すると、「そんなの当たり前よ。東京にいるだけではわからないのよ」とたしな
められた。支局のデスクとなり、自分で記事を書くチャンスが減ってしまった
が、風力先進県のすばらしさ、抱える課題を秋田発で発信したいと思っている。

      川口 雅浩(毎日新聞秋田支局次長、前・東京本社経済部記者)


−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://isepseenarchive.blog88.fc2.com/tb.php/139-29778391
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。