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3.京都での約束2
「共通だが差異ある責任」
                    本橋恵一 (環境ジャーナリスト)

 どうしてこの言葉が、しばしば忘れられるんだろうと思う。

 今でも憶えているのは、数年前、とある地球温暖化関連のイベントのレセプ
ションで、バングラディッシュの政府関係者と交わした会話だ。地球温暖化で、
バングラディッシュはどんな影響を恐れているのかという内容だった。彼が言
うのは、「海面上昇よりも、台風の増加が何より問題だ」ということだった。
 確かに、海面上昇はゆっくりやってくる。それはそれで、シビアな問題なの
だ。しかし、気候変動そのものは、さらに激しく進行しているのかもしれない。
2004年に日本を襲った台風というのは、地球温暖化によるものだと確実に
言いきれるわけではないにせよ。
 それはともかく、バングラディッシュの方と話していて考えたことというの
は、実は先進国の責任はかなり重いのではないかということだ。そのとき頭に
思い浮かんだのは、もしバングラディッシュ人が生活の場所を失ったとき、日
本という国はそれを受け入れるだけの覚悟があるのだろうか、ということだっ
た。そのイメージが、責任の重さの感覚につながっている。

 京都で開催されたCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)の頃と比
べると、途上国問題は大きく変化してきているように思う。
 元々、気候変動の影響は、先進国よりも途上国の方が大きいと言われていた。
しかも、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第3次報告書に基づく
共通認識というのは、おおよそ「2100年の気温上昇を2℃未満に押えよう」
というものではなか。そのために、二酸化炭素排出量を現在の40%から50%
にまで減らすという。しかし、見方を変えれば、これは2℃までは上昇するか
もしれないということである。地球温暖化を完全に防ぐわけではない。
 こうした認識に立ったとき、途上国ではいかに温暖化を防ぐかではなく、い
かに温暖化に適応するかが、より重要な問題となる。小島嶼諸国にとっては、
国土を失うという前提の話にすらなってくる。海面上昇だけではなく、台風の
増加や降雨の減少と砂漠化など、気候変動はさまざまな形でやってくる。それ
によって、農産物の収穫が減ることもある。先のバングラディッシュにしても、
同様の問題をかかえている。
 いくら途上国が、気候変動に対して、共通する責任を有しているといっても、
これでは責任の差異ということの方が、よほど重いのではないだろうか。

 最近の環境税をめぐる議論を聞いていると、ますますこの問題が忘れられて
いるという暗澹たる気持ちになる。
 先日も、とある環境税をめぐる議員の勉強会に参加させてもらった。そこで、
議論となったことの一つが、税収をどう使うかということだった。それはそれ
で、確かに大切な問題ではある。でも、ちょっとどうかと思ったのは、ある国
会議員が「税収は国内の省エネなどの産業の振興に使う。排出権取引などで税
金が海外に持っていかれるよりはいい」と発言したことだ。国会議員という立
場からは、こうした発言が支持を得やすいだろうということはわかる。でも、
本当にそうなのだろうか。
 環境税の税収を補助金に使う案もあれば、税制中立を前提に社会保障に使う
手段もあるだろう。一般会計から別途、地球温暖化対策予算を出せばいいとい
う考えもある。しかし、結局のところ、こうした議論は、日本という国が国際
公約である90年比6%削減を守るという、ただそれだけの視点しか持ってい
ない。それは、あまりにも視野が狭い議論ではないだろうか。
 とりわけ、先の議員の発言への違和感というのは、こういうことだ。
 税収を海外に持っていって、なぜいけないのか。CDM(クリーン開発メカ
ニズム)のための基金や、途上国が温暖化に適応するための基金への拠出金に
してはいけないのだろうか。
 前回の議論を踏まえれば、途上国の持続可能な開発、そして気候変動が起き
ても生活できる、適応できるためのインフラの整備。こうしたことがなされれ
ば、日本の産業にとっても、商品やサービスを輸出する市場ができることにな
る。同時に、その国から製品を輸入することもできる。そうした発想だってあ
っていいはずだ。
 現実に、日本が多額のODAで援助してきた中国は、(ODAだけが理由では
ないにせよ)アメリカ以上の貿易相手国にまで成長してきている。

 気候変動がグローバルな環境問題であるように、この問題はグローバル経済
にもリンクしている。それが、京都議定書がそもそも持っている性質ではなか
ったか。グローバル経済の中に、環境問題という経済の外部にあったものを組
み込む試み。京都議定書が発効するということは、こうした経済体制への最初
の一歩ではないのか。
 環境税を導入し、さらにキャップ&トレードの国内排出権取引制度を導入し
て、京都議定書の当面の目標を達成しても、それは日本という国が果たすべき
責任のささやかな部分でしかない。その先、どのように気候変動を防止(緩和)
し、経済を含めてどう適応していくのか。こうした議論をリードし、同時に実
行していくことが、責任の差異の部分ではないだろうか。

 だというのに、視野の狭い日本という国の人々は、いまだに入口でつまずい
ているようにしか見えない。

                    本橋恵一 (環境ジャーナリスト)

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