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「2005年京都議定書発効:持続可能性へ向けた確かな一歩を刻む年」
              大林ミカ(環境エネルギー政策研究所副所長)

気候変動枠組み条約発効10年、京都議定書締結より7年を経て、2月16日に、
ようやく、議定書の発効を迎えることになった。

昨年暮れにアルゼンチンで開催されたCOP10は、京都議定書の発効を祝うムー
ドに包まれていたが、議定書の約束と精神を守ることの難しさが改めて確認さ
れた会議でもあった。ブッシュ再選で単独主義路線がより強まったようにみえ
る米国は、国際社会が今後の温暖化防止について合意することを何が何でも妨
害したがっていたし(「これはホワイトハウスからの指示なので全く譲れない」
と強硬な姿勢)、サウジアラビアなどの産油国は、気候変動によって被害を受け
る他の途上国の立場を逆手にとり、温暖化防止対策によって自国の経済が影響
を受けるとして補償金を要求し、議論を紛糾させていた。今号SEENの寄稿者の
方々も触れている「京都議定書は発行前に死んだ」という挑戦から、「議定書は
発効したが死んだ、というのが、これからの米国と産油国の国際社会への新し
い挑戦」(浅岡美恵氏)となったのである。

京都議定書が締結された1997年のCOP3を思い起こすと、NGOたちは、気候変
動の深刻さを緩和するための必要削減量に比べてわずかな目標値しか持たない
議定書を非難し、その目標値すら緩めるものとして、CDMや排出量取引などの
京都メカニズムを「抜け穴」と呼んだ。COP3の後、日本のNGOは「ループホー
ル(抜け穴)研究会」を組織したほどである。かくいう筆者もその一人で、京
都議定書が、短期的な経済成長よりも地球環境を優先させる、史上初めての国
際公約であることは理解していたものの、地球温暖化を防止するためにはすぐ
にでも50%の温室効果ガスの削減が必要であるという科学的知見と、政治交渉
が生み出すことができたほんの小さな一歩との大きな落差に、愕然とする思い
だったのである。

しかし、その後の議定書の交渉過程は、数値は小さくとも、実は世界が大きな
一歩を踏み出したことを証明するものだった。スペースの都合上割愛するが、
米国の離脱など、何度も訪れた議定書死文化の危機を乗り越え、国際社会は決
して後戻りしなかった。そしてNGOも、この小さな約束を守り、よりよく育て
ようと努力しつつ、地球温暖化防止へ近づくことを後押ししてきた。

COP10は、COP3と同じように「前途多難」を意識させたが、世界各地では、条
約交渉10 年の流れの中で、実質的な削減効果をもたらす多くの努力が始めら
れている。1月1日に開始されたEUの排出量取引制度では域内で活動する米国
や日本などの外資系企業も対象となる。米・日の経済界は、排出量取引の導入
などの新しい温暖化防止施策の導入に強く反対しているが、EUの制度は、カナ
ダなどが検討している市場との取引拡大も視野に入れられており、国際規模の
市場の形成は、米・日の国内議論を促進する起爆剤になる可能性が高い。

先進国の中で米国に次いで排出量が多く、ヨーロッパではない国:日本にとっ
て、国際社会に突きつけられた新しい挑戦をはね除けるために要求されている
役割とは何なのだろうか。未だに排出量を増やし続けている日本は、もっとも
有名な自らの都市の名前を冠しているにもかかわらず、議定書の発効を素直に
喜べない状況なのではないか。

今年2005年は、議定書での約束達成について「明らかな前進を示す」と定めら
れた年であり、次の約束期間の議論を始める、地球温暖化防止にとって大きな
節目となる年である。議定書発効をきっかけに、環境税や排出量取引、着実に
自然エネルギーと省エネルギーを進めるための政策などの議論が、加速され、
具現化されていくことを望む。

              大林ミカ(環境エネルギー政策研究所副所長)


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