上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
1.  風発

法治、人治、電治
(飯田哲也、ISEP所長)

 「日本では、人の上に法があるのではなく、法の上に人がいる。」

在日カナダ人ジャーナリストのベンジャミン・フルフォードは、そう指摘してい
る。ただし、ここで言う「人」は、国民の全てではなく、政治家や官僚など一部
の、しかも本来なら責任を取って牢獄に入るべき「人」を指す。同氏は、コムソ
フィア特別賞(上智大学のマスコミ人がつくる「マスコミ・ソフィア会」による
賞)を受賞した「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」をはじめ、ここ1,2
年で彼が立て続けに発表した一連の著作をとおして、日本の出口のない不況の真
の原因は、無能で臆病な権力者たちが、内側ではヤクザと結託し、外側ではただ
ひたすらアメリカに盲従して、国民の資産を食いつぶしているからであるとの鋭
い論陣を張っている。

すでに400兆円もの国民の資産が失われ(アルベルト・安藤ペンシルバニア大学
経済学部教授)、このまま行けば、日本社会は奈落の底に落ちかねないにもかか
わらず、そのような無能で臆病な権力者たちがいまだに責任を問われるどころ
か、のうのうと利益を貪っているのは、同じように臆病で権力と馴れあった大マ
スコミが真の構造的な原因を追及せず、国民にも知らせず、警察と司法が「法の
正義」をまったく果たしていないからだと指摘している。法が機能せず、闇の支
配者を含む権力者による非公式の差配でものごとが決まる。法の下の平等も正義
も紙に書かれただけのタテマエに過ぎず、法治国家ならぬまさに(泥棒)人治国
家となっているのである。

エネルギー問題も、まったく同じ構造だ。こちらは、電力会社を中心とする既得
権益の「歪んだフィクション」に沿って、政治も行政もメディアの論も含めても
のごとが進められるから、「電治国家」というべきか。論理性も合理性も欠落し
た、その「歪んだフィクション」に基づいて現実を変えようとするから、理解し
がたい理不尽がまかり通る。

最近のトピックスで言えば、まず核燃料サイクルがある。原子力委員会は、11月
12日の会合で、六ヶ所再処理工場の差し迫った危機に背を向け、ありもしない
(あるいは全ての原発に共通の)「原発停止コスト」(使用済み燃料がプールで
溢れかえり、停止せざるを得ない原発に対する代替電源費用)を論拠にするなど
して、核燃料サイクル堅持で押し切った。これは、希代の詭弁といえよう。近藤
駿介原子力委員長は、恥を知るべきだ。

また、去る9月に、東北電力は系統への影響を算定した上で、風力発電の導入制
限を52万キロワットとする説明をホームページで公表した。ところが、東北電力
の周波数調整は実質的に東京電力が行っているのであるから、東北電力のいう
「風力発電による系統への影響」は現実には生じえないのである。風力発電は確
かに系統に影響を与え、それが電力会社に負担を与えていることは事実である。
しかし、それをこのような「歪んだフィクション」によって世論を間違った方向
に誘導し、同時に風力発電を閉め出す所業は、ほとんど反社会的な行為といえな
いだろうか。11月には、九州電力が鹿児島県長島町で5万キロワットの風力発電
事業を行うことを公表した。しかし同社は、この春に一般の風力発電事業者に対
して、系統の制約を理由に電力の買い取りを5万キロワットに制限しており、こ
れに対して合計70万キロワットもの事業者が応募しているのである。しかも、九
州電力は自ら事業を行うのではなく、九電工との共同出資で新会社を設立するこ
ととしているのであるから、条件は、一般の風力発電事業者と何ら変わらないは
ずである。それとも、九州電力はその5万キロワットの風力発電を系統に繋がな
いつもりであろうか。

これでは、とてもまともな市場とはいえず、まともな民主主義社会ですらない。
佐藤栄佐久福島県知事は「エネルギー政策は民主主義そのものだ」と言い切っ
た。日本のエネルギー政策に、民主主義を確立する、リアルな戦略が急務だ。

----

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://isepseenarchive.blog88.fc2.com/tb.php/100-c4c4d2b3
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。