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1.  風発
風発 「災」から「望」へ
(飯田哲也、ISEP所長)

■「災」の2004
年末に清水寺・貫主が書かれた「災」の字は、日本人にとって昨年を象徴する、
的を射た漢字だったといえる。中でも、暮れに発生したスマトラ沖地震の津波
被害は、日を追って被害が膨れあがり、年明け時点で15万人とも20万人とも
される犠牲者の全貌は未だに不明だが、史上最悪の災害となった。これに、国
内での中越地震、そして繰り返し本州に襲来した台風などの記憶が重なり、
「災」の心象風景となった。

一方、ブッシュ再選も「社会的な災」であろう。どちらが勝っても米国の採れ
る選択肢は限られているとする冷めた意見もあるが、仮にケリーが勝っていた
場合の「もう一つの世界」とは雲泥の差である。これからの4年間を思いやると、
やはり暗澹とする。唯一の成果は、米国への希望的な幻想をようやく日本も脱
することができたことと、米国の権力構造への社会知が格段と高まったことく
らいではないか。

日本「国」の振る舞いも、国民にとってはますます深刻な「災」だ。「自衛隊の活動
地域が非戦闘地域」という妄言まで飛び出たイラク問題や財務省が忠実に買い
支える米国債は、もはや「ブッシュのアメリカ」と地獄まで一蓮托生となる危
険水域である。片やアジアに対しては、「脱亜」という歪んだ優越幻想を持ち、
北朝鮮問題で集団ヒステリー化し、中国に対して自閉的なナショナリズムがメ
ディアやネットを賑わせている日本社会だが、現実には、韓流というソフトパ
ワーや「中国の衝撃」(溝口雄三)など、アジアの政治経済ダイナミズムから、地
滑り的に立ち後れつつある。

国内問題では、政府の債務残高は無責任に膨れあがるまま、政にも官にも改善
の兆しが見えない。環境エネルギー政策では、日本経団連は駄々っ子のように
意味不明の環境税反対を叫び、原子力委員会は「現代の戦艦大和」たる六カ所再
処理工場の稼働にお墨付きを与えるために、「戦車のように」暴走している(佐藤
栄佐久福島県知事)。ブッシュを再選させた根底に米国の「反知性主義」(R・ホー
フスタッター)があるとすれば、日本「国」(日本型権力システム)を覆っているの
は「非知性そのもの」ではないか。

■ISEPの2004
さて、ISEPとしての2004年を振り返ると、持続可能なエネルギー政策の実現
を目指すリーディング組織として、日本と国際社会の両面でようやく足場が固
まった年といえる。

まず国際的には、昨年6月にボン(ドイツ)で開催された「自然エネルギー2004」
と11月の国際ソーラー都市会議(韓国テグ市で開催)それぞれの準備プロセス
とフォローアップに、日本での主要なパートナーとして積極的な役割を果たし
てきている。その他にも、英国政府が力を入れている「自然エネルギー・省エ
ネルギーパートナーシップ」(REEEP)など、持続可能なエネルギーに係わるいく
つかの国際的なネットワークにも参加している。自然エネルギーが国際政治ア
ジェンダで重要性を増すにつれて、こうしたネットワークがますます活発に展
開しつつあり、その中でISEPの役割が双方向で「見える」ようになった。

また国内では、「市民エネルギー調査会」と「みんなのグリーン電力サイト」が
重要な2つの活動成果であった。「市民エネルギー調査会」は、参加者が創発
的・互恵的に知見を提供する「バザール方式」で行われたオープンソース・プ
ロジェクトである。リナックスを生み出したITコミュニティではなく、環境コ
ミュニティで行われたところに意味がある。とくに中心的な役割を果たして頂
いた室田泰弘氏(湘南エコノメトリクス)の多大な尽力に心から感謝を申し上
げたい。

一方、「みんなのグリーン電力」サイト、略称「みんグリ」 (www.greenpower.jp)
も、違ったかたちのオープンソース・プロジェクトである。ISEPでは、「需要
家が選べる自然エネルギー」である「グリーン電力」を立ち上げからずっと主
導・支援してきている。各方面の協力を得て立ち上げと運営を行っているこの
サイトは、グリーン電力のポータルサイトである以上に、社会的にその普及を
働きかけていくプラットフォームである。

こうした一連の活動を通して、ISEPの活動スタイルと方向性が定まってきた
2004年であった。

■2005年への「望」
2005年に確定していることとして、まず京都議定書の発効 (2/16)と、秋に中
国で「自然エネルギー2005」の開催がある。これらを折り込んで、ISEPとしての
2005年を臨む展望を述べたい。

ISEPの社会的な役割として、持続可能なエネルギー政策の実現に向けた「実用
的な知」を生み出し、「実質的な変化」を促すことにあると自負している。それ
をとおして、タテマエで塗り固められた日本の環境エネルギー政策が「フィク
ション」であることを誰の目にも見えるようにし、それがさらに実質的な変化
を促すことを期待している【この主題で、3月6日にシンポジウムを主催する
予定である】。その具体的な実践として、ISEPの活動は、「政策研究」「政策提
言」「ビジネスモデル創造」という大きな3つの柱として整理できる。これらが
それぞれ有機的に連携し、相互にフィードバックできることが、ISEPのスタイ
ルであり、強みである。

「政策研究」は、アカデミズムに閉じこもることなく、また産業科学や「日本
型コンサル」にも堕ちることなく、国内外での具体的な実践に裏打ちされた水
準の高い「市民科学」を目指している。2005年は、持続可能なエネルギー政策
に係わる5つの具体的なテーマを設定し、内外の研究者の協力を得て進めてい
く予定である。

「政策提言」では、「提言」に留まらず、日本型の政策プロセスの実態に踏み込
んで、「実質的な変化」を促す政治的な関与に力点を置いて活動している。とり
わけISEPでは、自然エネルギーを軸とする国際ネットワークをとおした活動と
地方自治体での環境エネルギー政策の実現に力を入れ、いっそうの政治的な働
きかけを行なっていく予定である。

「ビジネスモデル創造」では、持続可能なエネルギーという政策に「生活の質」
の視点を折り込んで、高質な持続可能なエネルギーコミュニティやローカル環
境エネルギーを実現していくことを目指している。これまでISEPが誕生に重要
な貢献をしてきた市民風車も、春には「石狩市民風車」が立ち上がり、2005年度
の新事業も進行中である。長野県飯田市などで取り組み始めた持続可能なエネ
ルギーコミュニティやグリーン電力に関する実践も、それぞれ春には具体的な
形として紹介できる予定である。

いずれも小さな「望」かもしれない。しかし、こうした一つ一つの「望」を紡ぎ
合わせ、日本社会の「空洞」の内実を自らの手で埋めていくことで、持続可能な
未来へ向けた「実質的な変化」が起きることを「望」みたい。

2005年も、引き続きISEPに対して、いっそうのご支援とご指導、ご協力をお
願い申し上げます。


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2. 京都での約束1

京都議定書への失われた視点
 (環境ジャーナリスト/SEEN編集担当 本橋恵一)

 京都議定書が2月16日に発効する。昨年秋にロシアが批准してから、ちょう
ど90日後にあたる日である。筆者としては、心から祝福したい。
 同時に、ロシア批准に際して、日本は決定的な役割を何一つ果たしていない
ことにも注意したい。というのも、日本は結局のところ、この10年間、地球温
暖化問題をめぐって、米国と欧州のどちらにつくのか、その議論を繰り返して
きただけなのだから。そのことは、京都議定書が持っている画期的で本質的な
意義に対して。目を閉じてきたということでもある。言い方を変えれば、日本
は地球温暖化対策をゼロサムゲームとしてしか見ていないということだ。
 京都議定書に織り込まれた、画期的で本質的な意義というのは、環境問題を
通じて、ロシア・東欧や途上国への投資に正当性を持たせたことと、市場を利
用して環境保全のコストを負担する仕組みをまがりなりにも作ったということ
だと考えている。

 2~3年前、あるロシアの政府関係者と話していて驚いたのは、ロシア国内
でも「京都議定書は不平等条約だ」という議論があるということだった。ロシ
アは現在、90年のCO2排出量に対しておよそ38%も減らしているのに、
第一目標期間の削減目標は90年比±0%だ。にもかかわらず、将来の経済発
展を制約するものとして、すでに発展した日本や米国、欧州よりも不平等だと
いうのだ。
 このことに加えて、目の前に大量にある余剰のCO2排出権は高く売れそう
にない。2~3年前に予想された市場価格でいけば、日本が買うのはせいぜい
数億ドル。決して魅力ある輸出商品ではない。先のロシア政府関係者の話では、
「ロシア人は誰も京都議定書に興味を持っていない」ということだった。
 にもかかわらず、ロシアが京都議定書を批准した理由は、欧州との間でロシ
アのWTO加盟問題をクリアしたからだった。

 京都議定書でロシアの削減目標をあえて高くした背景には、排出権取引を通
じて、日本や米国からロシアへの資金の移転がなされるという前提があった。
しかし、このことが機能しなくなってしまったため、ロシアが京都議定書に興
味を無くすのは当然のことだったのだろう。今後もロシアが排出権を積極的に
売っていくとは思えない。むしろ、京都議定書の共同実施を通じて、いかに国
内に投資を呼びこんでいくかがテーマとなってくるはずだ。
 そしておそらく、他の東欧諸国にとっても、同じことがいえる。さらに、排
出枠を持たない途上国にとっては、共同実施ではなく、CDM(クリーン開発
メカニズム)を通じた先進国からの投資への期待は大きい。それは、京都議定
書を採択したときに、途上国に対して約束されたものである。途上国にとって
は、温暖化対応への途上国の援助とともに、気候変動枠組条約の締約国会議(C
OP)における重要なテーマなのだ。

 視線を中国に転じてみよう。
 日本でよくある議論の一つが、「米国も中国も参加していない京都議定書に
は意義も効果もない」というものだ。だが、米国はともかくとして、中国は京
都議定書に批准している途上国である。確かにCO2排出量は大きい。しかし、
日本の10倍もの人口を持つ国としては、決して大きいとはいえない。京都会
議(COP3)直前、日本国内で目標設定についてなされた議論の一つが「国
別総量規制か、一人あたりの規制か」というものだった。この議論でいけば、
中国が相応の排出枠を持つのは当然ということになる。

 そもそも、途上国にとって資金の移転を正当化する理由の一つが、まだ国際
的にきちんと分配されていないCO2排出枠だ。仮に全世界で一人あたりの排
出枠が同じになるように分配したとしよう。日本は6%削減どころか、60%
以上の削減目標がかけられることになる。途上国では逆に排出枠を売ることが
できる。当然、中国はCO2の大輸出国になれる。こうしたCO2排出枠とい
う資源が京都議定書の削減目標としてすでに先進国に優先的に分配されている
のであれば、そもそも排出する機会のない途上国には、それ相応の資金の移転
があってもいいはずである。

 途中の議論を次回以降に回して、結論を急ぐ。
 グローバル化した経済と環境問題は、京都議定書によってその一部が結び付
けられた。先進国から途上国に移転する資金の一部は、CDMクレジットとし
て市場に流通する。ロシア・東欧における共同実施のクレジットも同様だ。当
然、商品としてそのクレジットの質も問われるだろうし、そうあるべきだろう。
いかに有意義で持続可能な開発を行い、CO2を削減したかが問われるべきだ。
 日本は気候変動問題をめぐるゼロサムゲームではなく、途上国との間でWi
n/Winアプローチとなる計画を考える時期にきている。そして、多くの途
上国を付属書?国(削減目標を持った国)に引き込むことで、より実りのある
議定書にしていく、そういうゲームを行なう。

 もっとも、こうしたことを日本政府に期待しても無駄かもしれない。だが、
グローバル化した世界では、政府に役割はむしろ限定的になっている。だとす
れば、民間、一般の企業自身が、京都メカニズムのプレーヤーの一人として、
ゲームを行っていけばいいということだ。


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