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1.「無計画停電」から「戦略的エネルギーシフト」へ
           「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」No.1
       飯田哲也(ISEP所長)、松原弘直(ISEP主席研究員)

1)はじめに
 2011年3月11日に発生した東北関東大地震とそれに続く巨大津波によ
って、福島第一原子力発電所をはじめとする東京電力・東北電力の主要電源が
緊急停止した。このため東日本は深刻な需給ギャップが生まれ、それに対応す
るために東京電力では「計画停電」を始めた。ところがこの計画停電は、十分
に計画されたものではなく、信号や鉄道、病院といったライフラインの電力や
震災被災地の電力供給さえ止まる地域がある他、生産活動の見通しを立てられ
ない産業経済界からも異論が聞こえるなど、混乱を極めている。
 そこでISEPでは、関東圏の供給力や過去の需要量を含めた電力需要の検
証を行い、今後、公共政策として行うべき、短期・中長期的な施策をここに提
言する。

(続きは以下のサイトで)
http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110323.pdf

        飯田哲也(ISEP所長)、松原弘直(ISEP主席研究員)
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3.連載:あおもりエネルギー紀行(15)「最悪の事態」
                   森 治文(朝日新聞青森総局次長)

 とんでもないことになった。
 今も現在進行系の東日本大震災、そして福島第一原発の事故である。
 マグニチュード9.0という日本でかつてないような地震に見舞われ、その
直後、これまた未曾有の大津波に襲われ、突然、その命を奪われた多数の方々
の無念さはいかばかりだったろう。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。さら
には残された家族、一家の大黒柱や最愛の妻、両親、そして幼い命を失った人
たちのことを考えると、胸が張り裂ける思いだ。この先、どうやって生きてい
けばいいのかと絶望しそうになっているかもしれないが、どうか希望を捨てな
いで前を向くよう、何の手助けもできていない者としては祈るしかない。

 宮城、福島、岩手3県の惨状とは比べものにはならないが、青森も県内第2
の都市、八戸市を中心に被害が出た。3人の方が亡くなり、1人が行方不明の
ままだ。犠牲者が最小限に食い止められたのは、震源が南寄りで津波が他の地
域ほど陸地の奥まで到達しなかったことが大きい。しかし、海岸部にある港や
工業地帯は壊滅的な打撃を受け、数百人の避難者が出た。

 原発関連施設が並ぶ下北半島は幸いなことに震度4、津波もさほど大きくな
かった。さらに東通村の東北電力東通原発は定期点検中だった。六ヶ所村の再
処理工場は地震直後、外部から電気を取り込めなくなり、使用済み核燃料貯蔵
施設の冷却用ポンプを動かす非常用ディーゼル発電機に切り替えたが、その1
台の燃料供給システムにトラブルが発生。その後、復旧した外部電源に戻した。
福島第一原発4号機のような、使用済み核燃料の温度上昇はないという。それ
にしても非常用発電機が故障するのは、福島第一原発を連想させ、気持ちのよ
いものではない。

 福島第一原発は予断を許さない。「想定外のこと」が起きたという、津波のせ
いにするような言い訳が許されないのは当然だろう。日本国中、いや世界中を
不安に陥れ、特に地震と津波の被害の上に、さらに避難や屋内待避を命じられ
た二重苦の人々のことを考えれば、東京電力の企業責任は過去の公害企業をは
るかに超えて重いと思う。被爆の危険性を省みず、現場で必死に戦っている人
には敬意を表したいが、その後方で、記者会見にも今のところ1回しか顔を見
せないトップを始めとするエリート集団が、とにかく事故を小さいもののよう
に見せようとしたいとしか思えない発表に終始しているのは見苦しい。次から
次へと起きる事態に、「そんなこと聞いてないよ」と、国民が目を丸くしている
様子など眼中にないようだ。情報を小出しにするばかりで、今後、どんな大惨
事になるか分からないのに、その可能性に触れないのは明らかに責任逃れであ
る。

 原発を手なずけることに失敗した東電が実は、震災後も着々と新しい原発建
設を進めていた。

 前回の本欄でも触れた東京電力東通原発だ。昨年暮れに設置許可が下り、今
年から港湾部分などの工事に着手したが、津波警報や注意報が出されたため、
いったん中断していた。ところが、福島第一原発で事故が発生したのにもかか
わらず、津波注意報が解けると、この14日から再び、造成工事を再開したの
である。

 17日、弊紙青森県版でそう報じたところ、東京電力が急きょ、4月からの
本格工事を当面見送ると表明した。

 この原発、近くにある活断層をめぐって安全審査が長引いたという代物だ。
地震が引き金になった今回の事故をきっかけに、今は原発の耐震性が改めて問
われるかもしれない状況だ。その最中にあって、本格工事を見送るとはいえ、
原発事故のさなかに再開した造成工事はまだ進めるというのである。つまり、
本格工事までの地ならしはしておきたいというのだ。その神経が疑われる。

 一般の企業、特にメーカーに置き換えて考えてみる。「電気」という商品を作
る工場が大爆発を起こした。付近の住民に生命の危険にさらしたうえ、さらに
その事故は拡大の一途をたどる。壊れた工場は沸騰水型というタイプだ。それ
の改良型とはいえ、似たタイプの工場を今、作り続けるのは、どういう感覚な
のだろうか。地元の人々が沈黙しているから、福島のことなど関係ないと考え
たのだろうか。

 いわゆるメーカーなら、事後の検証も含めたすべてを終えるまで、建設は中
断すると思う。企業倫理が働くだろうし、何より、強引に工場建設を進めれば
顧客は不信感を募らせ、そんな企業の「電気」を買いたくないと言うに違いな
いからだ。ところが、電気は選べない。どんなことがあろうと、首都圏に住む
人たちの大多数は東京電力が作る電気を使うしかない。聞こえが悪いが、どん
な事故や不祥事を起こしても「安泰」なのが、電力業界なのだと改めて感じ入
る。

 事故をもうこれ以上拡大させない必死の努力とともに、もっと国民に説明を。
そして、すべてをさらけ出し、審判を仰ぐべきだ。青森でいえば、東通原発は
もう1度、白紙に戻して本当に建てるべきか、お伺いを立てなくてはならない。
国民は憤っている。その声に素直に耳を傾けてもらいたい。

                  森 治文(朝日新聞青森総局次長)
2.連載「光と風と樹々と」(29)袋小路の温暖化対策──国内編
               長谷川公一(環境社会学者 東北大学教員) 

・菅政権の断末魔

 民主党の菅内閣が暗礁に乗り上げている。ねじれ国会と20%を下回る低い
内閣支持率のもとで、新年度予算案成立の目途が経っていない。4月の統一地
方選では民主党系候補の惨敗が予想されている。民主党批判の急先鋒だった与
謝野馨(政治家や歴史上の人物などについては敬称略、以下同様)の経済財政
政策担当大臣への起用、社民党へのすり寄りといい、マニフェストからのなし
崩し的な後退といい、もう「なり振り構わず」「政権にしがみつく」という格
好だ。
 解散権を行使すれば、民主党は歴史的大敗を喫し、政権からずり落ちるだろ
うから、解散もできない。統一地方選前に内閣を総辞職して、首相を交代させ
て、目先を変えてみるしか道は残されていないのではないか。それは、
2006年の参院選敗北後に自民党の安倍・福田・麻生の3政権が辿ったとま
さしく同様の末路であり、断末魔である。

・温暖化対策もまた袋小路に

打つ手なしの袋小路に陥っているのは、菅政権だけではない。国内外の温暖
化対策もまた同様である(国際的な温暖化対策については次回に述べたい)。
予算案の年度内成立、国会運営の見通しも立たないなかで、国内的には、遺憾
ながら「温暖化対策どころではない」という状況である。25%削減をアドバ
ルーンにした鳩山前首相に比べて、菅首相は、個人的にも温暖化対策にほとん
ど興味がないのではないか、と環境省サイドでもささやかれている。
1年前の2010年3月には、温暖化対策基本法の国会上程・成立というロ
ードマップが描けていたが、予算案成立でさえ危ぶまれる現状では、温暖化対
策基本法も画餅のようなものである。こういう状況の中で、産業界や経済産業
省サイドからの圧力に屈する形で、2010年12月の「排出量取引制度」の
導入先送り決定に代表されるように、政策の後退が相次いでいる(明日香寿川
「崩壊する日本の温暖化対策」『世界』2011年3月号参照)。1990年
比25%削減の中期目標に代表される積極的な温暖化対策は、政権交代による
「新しい政治」の代表的なシンボルとして、一時は輝いてみえたが、政権自身
によってたちまち泥を塗られ、いつのまにか実質的に旗を降ろしてしまった感
がある。

・政策評価なき権力の暴力──「事業仕分け」「再仕分け」の問題性

 「事業仕分け」「再仕分け」という名の半ば暴力的・権力的な政治ショーでも、
「費用対効果だ」「実質的な削減効果だ」という性急で乱暴な大声のもとで、と
くに地域レベルでの温暖化政策は標的の一つとなり、圧殺されかかった。京都
会議の翌年、1998年に、日本は各国に先駆けて「地球温暖化対策推進法(以
下、温対法と略記)」を制定した。この法律では、各都道府県は、地域地球温暖
化対策推進センター(以下、地域センターと略記)を設置してよいことになっ
ており、2010年までに県レベルでの地域センターがようやく全都道府県に
そろった。北海道、宮城県、埼玉県、神奈川県、静岡県、長野県、京都府、大
阪府、兵庫県、広島県、福岡県、沖縄県などのセンターは、設立も比較的早く、
きわめて積極的に活動している。他の地域センターも、都道府県、市町村レベ
ルでの温暖化対策の着実な足場となってきた。2009年度からは、政令市や
中核市でも、市レベルでのセンターを設立することができるようになり、浜松
市、長野市、熊谷市など、熱心な市を皮切りに、市レベルのセンターができは
じめている。
 温対法のもとに、全国には約7400人の地球温暖化防止活動推進員という
ボランティアが存在する。地域センターが研修を行い、育成してきた人材であ
る。約6割が男性で、定年前後の年齢層の人が多い。
 地域センターの連絡調整にあたる組織として、全国地球温暖化防止活動推進
センター(JCCCA、以下、全国センターと略記)がある。これらは、いず
れも温対法にその役割や権限などが規定された法律上の存在である。しかしな
がら、「事業仕分け」「政治主導」の名のもとに、温対法をあたかも無視するか
のように、地域センターや全国センター、推進員に関する環境省の予算は「廃
止」を宣告され、昨年11月の「再仕分け」でも、冷ややかな扱いを受けるこ
とになった。
 「事業仕分け」は本来、まず予算削減ありきではなく、政策評価を前提に行
われるべきものだろう。地域レベルでのこれまでの温暖化政策がどの程度効果
をあげ、どのような課題と問題点を抱えているのか、このような検証がまず必
要である。にもかかわらず、環境省の担当課からの短時間のヒアリングのみで、
基本的には仕分け人の「印象論」で、地域レベルでの温暖化対策関連予算は「廃
止」を宣告され、昨年秋の「再仕分け」でも、前年の仕分け結果の妥当性の検
証プロセスもないままに、事業仕分けどおりに予算が配分されているかどうか
だけがチェックされた。
 マニフェストがなし崩し的に後退する一方で、政治主導とメディアが喧伝し
た「事業仕分け」の名のもとに、こういう乱暴な権力行使がまかりとおってい
る。残念ながら、これが政権交代の実像である。私自身、宮城県センターの運
営委員長を務め、全国センターの受け皿として、事業仕分けの批判をのりこえ
るべく昨年8月に新しく組織化された「一般社団法人 地球温暖化防止全国ネ
ット」の理事長として、この問題の渦中の当事者の1人として対応を余儀なく
されてきたが、文字どおり民主党に振り回され続けてきたこの1年半だったと
いえる。政治家が「権力」をもつということの実体を垣間見た思いがする。

*一般社団法人 地球温暖化防止全国ネット
http://www.jccca.org/about/about02.html

・次は有権者が「仕分け」る番だ

 昨年の参院選もそうだったが、4月の統一地方選も、来るべき総選挙も、現
政権党への有権者からの「仕分け」である。十分なデータも事前の準備もなか
った、政権担当能力なき政権は、「仕分け」られるしかあるまい。そこにしか、
日本の政治の再生の道はないだろう。総選挙後の新政権にも、醒めた視線しか
送りようがない気がするが……。
 日本の政治にも、温暖化政策にも、希望をどこに見出せばよいのか。

            長谷川公一(環境社会学者 東北大学教員)
2.青森エネルギー紀行(13)「大停電の年明け」
                     森治文(朝日新聞青森総局次長)

 今年の青森は、大停電とともに明けた。ドカ雪が降ったのはいつもと同じな
のだが、降った地域がいささか異なった。同時進行で鳥取や島根では、雪の中
で帰省中の立ち往生の車が相次いだ。これら山陰地方も正月にはここまで降ら
ないと聞く。年末年始に吹き荒れた低気圧が、日本列島の西と北で同時に異変
をもたらした。
 青森はおおざっぱに西半分の津軽地方と東半分の北側にある下北半島、南側
の南部地方に分かれるが、他県の人たちが「豪雪地帯」と考えている青森は津
軽のことで、八戸市に代表される太平洋岸に近い南部地方では、この季節の積
雪は数センチ程度(2月に向けてもう少し降るが)。むしろ太陽光発電に適して
いると言われるほど、冬でも晴れの日が多い。そこに1日で40センチ近い、
しかも湿って重い雪が襲った。
 停電の原因は単純だ。雪の重みで倒れた木があちこちで送電線にもたれかか
り、断線が多発した。停電地域は、南部地方でも山間の田子町、新郷村などが
中心で2万1千世帯に及んだ。ちなみに隣の岩手県でも、青森県境に近い北部
を中心に7万3千世帯で正月に電気が来ない憂き目にあった。
 東北電力によると、この世帯という言い方は契約数1に対し1世帯というの
で、実際に何戸にあたるかは不明だ。農家などは自宅用と業務用とで複数契約
するところもあるらしい。ただ、人口あわせて1万人足らずのこの2町村内で
の電力契約数のうち、9割方の契約に対し送電がストップした。役場も電気が
消えた。
 同僚が取材したところでは、停電した多くのところは紅白歌合戦が終盤にさ
しかかったころから、電気がついたり消えたりし、年をまたぐ前には完全にス
トップしたそうだ。すぐに復旧すればよかったが、除雪もままならない山道を
少しずつ進んでは断線した部分を確認し、線をつなぐ作業の繰り返し。このた
め、なかなか山奥にある世帯ほどなかなか復旧に手間取り、長いところでは
31日から2日にかけて48時間近く停電を強いられた家もあったようだ。
 山間部なので病院などの業務に支障が出たという話は聞かないが、それでも
大変な正月となった。
 まずは暖房だ。零下が当たり前という地域で暖を取れないのはつらい。今は
ファンヒーターが主流。それとこたつ。エアコンを使う家庭も増えている。昨
年12月25日には青森県内の電力使用量が過去最大を記録したように。暖房
の電気シフトが進んでいる。
 それらがまったく役に立たなくなったものだから、家の奥から昔ながらの薪
ストーブやマッチや電池で着火させる灯油ストーブを引っ張り出してきた家庭
もあったという。これには、1994年に起きた「三陸はるか沖地震」の際の
大規模停電を教訓に、電気がない時の備えの心構えができていたためと、地元
の自治体はみている。
 正月料理の煮炊きにはガスがあり、食べるのには困らなかったが、娯楽のさ
ほど多い地域でもないのにテレビもなく、「日が暮れたら、暖房も兼ねて布団に
潜り込む」という、文字通りの「寝正月」の人もいた。
 そんな不便極まりない正月にあって、感心させられたのはパニックらしい反
応がなかったということ。電話は通じたらしく、「陸の孤島」といった事態は免
れていたこともあるが、ほとんどの人が抗議をするでもなく、じっと電気がつ
くのを待っていたという。
 これが都市だったらどうだろう。電車や信号のつかない道路、病院や24時
間操業の工場や店舗などもマヒするというインフラの問題は別にしても、各家
庭とも我慢できないのではないか。
 自分なりに貧困な想像力を働かせてみた。
 寒さにこごえながら夜はまっ暗だ。ろうそくと電池で充電した携帯電話の明
かりだけ。テレビもパソコンも使えず、冷蔵庫の食べ物も台無し。温水も出な
いだろう。トイレの水は流れるだろうか。洗濯も風呂もできない。雑煮と腐ら
ない正月料理を食べ、車も出せないし、電車も動かないから遠出もできない。
電話は通じて110番や119番通報はできるかもしれないが、病人が出たら
どうするか。
 そんな風に考えながら、あり得ないことだけど、ノーカーデーならぬノーエ
レクトリックデーも作るのも悪くないと思い始めた。電気のない生活は実際に
はとても無理にしても、ムダを見直す機会にはなり、電気に頼らず読書を楽し
むとか(これも電子書籍主流の時代になれば無理か)、近所を散歩してみるとか
身近な自然や人々とのつきあいの中で気づくものもあるかもしれない。
 それにしても皮肉なのは、電力の大供給地のお膝元にある町や村には電気が
これっぽっちも来ない時に、大消費地の都会では好きなだけ使え、ぬくぬくと
生活ができたという現実だ。じっと耐える地域の人々の強さに美徳を見るとと
もに、もう一方で、インフラの基本が欠けた時は応分の負担をしている者とし
て声を上げてもいいのではないかと思う。納税を受けている町村や県は住民を
代表してなおさら言うことは言っておくべきだろう。
 東北電力も今回は、停電地域以外の社員らも総動員して不眠不休の復旧活動
をしたと聞く。加えてその後、地元紙にもおわび広告も大きく掲載し、企業と
しての努力と誠意は感じた。でも、よりよいエネルギーの供給と消費の関係を
作っていくには、企業の自主的な姿勢に満足したり甘えたりするままでいいの
かという点に、多少の割り切れなさを感じた今回の大停電劇だった。

 最後になりましたが、明けましておめでとうございます。拙文を読んでくだ
さっているみなさん、本年もよろしくお願いいたします。

                     森治文(朝日新聞青森総局次長)
2.連載「光と風と樹々と」(27)
   「小沢的なるもの」からの脱却なるか─民主党代表選の歴史的意義
                長谷川公一(環境社会学者 東北大学教員)

■小沢が負けたら
 民主党代表選は、菅直人首相と小沢一郎前幹事長の一騎打ちの形で争われる
ことになった。この選挙戦は色々な意味で注目される。「脱小沢路線」が鮮明に
なることによって、民主党の、日本の政治の分岐点になるかもしれない。
 各紙の世論調査で支持率の多い菅首相が勝ったならば、これまで幻想を抱か
せてきた小沢の政治力は一気に低下することだろう。民主党分裂の事態も危惧
されているが、少数の離脱は例えあったとしても、大分裂というようなことは
ないのではないか。小選挙区比例代表制のもとでは小党は不利だからであり、
民主党から飛び出した小沢らと、自民党から飛び出した与謝野馨・桝添要一な
どが、公明党などとも組んで、大きな旗印のもとに第3極の形成をめざすとい
うようなことは、考えがたい。平成になってからこの22年間の間にいろいろ
な新党が出来たが、成功したのは、民主党だけだったといっても過言ではない。

■小沢が勝ったら
 小沢が勝ち、そのまま首相の座に着いたならば、どうなるだろうか。党内は
名実ともに「小沢支配」が現出するだろう。しかし世論の支持率は低迷し、早
期に解散・総選挙という事態に追い込まれるのではないか。「政治とカネ」の問
題を抱え、国民向けの説明力に乏しい小沢首相が国民的な人気を博するとは考
えがたい。次の総選挙に民主党は敗北し、自民党を中心とした連立政権の復活
という事態になるのではないか。
 いずれにしろ、できるだけ表に出ないことで政治力を演出してきた小沢一郎
は、首相の座に直結する代表選に立候補したことで退路を失い、その政治力が
どの程度のものなのかを、代表選の票差という形で、白日のもとに曝すことに
なった。
 8月31日までの経過を見ていると、小沢自身が、本当に代表選に出たかっ
たのかどうか、必ずしも明確ではない。31日17時50分頃からの記者会見
を帰宅途中のラジオで聞いたが、出ると言いたいのか、出ないと言いたいのか、
終わり近くまでわからなかった。
 なぜこの機に、小沢が代表選に立候補し、総理の座をめざすのか。3ヶ月前
に、「政治とカネ」の問題の責任を取らされて、幹事長職の辞任に追い込まれた
人が、その後も何ら説明責任をはたすことなく、代表選に立候補することほど、
厚顔なことはあるまい。
 出るぞ出るぞ、と言いながら、最後は、矛をおさめて、人事上の取り引きを
することが小沢の戦術だったのではないか。その意味では、世論の支持を背景
に、談合を避けて、選挙戦での決着を選んだ菅は、小沢の底意を見抜いたと言
える。

■ボクは道化師-鳩山の滑稽
 事実上小沢の立候補の御膳立てをし、最後に仲介に失敗した鳩山由紀夫前首
相の一連の言動は、さらに滑稽の極みだった。9月1日付け読売新聞によると、
31日夕、鳩山は「周辺に「ボクはいったい、何だったんでしょうね」とぼや
いた」というが、その答えは道化師以外の何ものでもない。小沢への「恩返し」
発言をはじめとして、鳩山の発言や行動は、今回も支離滅裂だ。約60人とい
う鳩山グループなるものは、はたして本当に一致団結して、鳩山の指示どおり
に、小沢を推すのだろうか。

■小沢-反小沢が軸であってよいのか
 1989年8月に海部俊樹内閣のもとで、小沢が47歳で自民党幹事長に就
任して以来、22年間、日本の政治のかなりの部分が、小沢-反小沢を軸として、
小沢一郎への好悪や小沢からの距離、離反をめぐって動いてきた。1993年
8月の細川連立内閣の成立、1994年4月の同内閣の瓦解、6月の自社さき
がけ連立政権の誕生、2007年7月の参院選での勝利、ねじれ国会の現出、
9月の安倍退陣、11月の福田首相との大連立構想、2009年8月の総選挙
での勝利などである。
 平成になってから22年間の日本の政治の混迷に、小沢一郎は大きな影を落
としている。日本の政治の「貧困」とも、小沢は無縁ではない。
 結局、彼は何をしたいのだろうか。何を、どのような理念を実現したいのだ
ろうか。彼がリベラルでないことははっきりしているが、新保守主義との関係
はどうなのか。環境問題などに積極的な発言をしてこなかったこと、NPOな
どに関心がないことは理解できるが、どういう日本をつくりたいのだろうか。
 横路孝弘衆院議長や輿石東参院議員会長ら、小沢は、旧社会党系議員グルー
プと仲がいいが、これもわかりにくい。
 非論理的でわかりにくい、説明力に乏しい、小沢的なるものからの脱却、ま
た奇々怪々の鳩山の影響力の消滅、代表選を含めて、そういう方向に、今後民
主党は動いていくのではないだろうか。
(2010年9月1日記す)。

                長谷川公一(環境社会学者 東北大学教員)
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